サーバーを失った

サーバーのダウンが続いていたが、どうしたことか、Abuseを理由としてアカウントが停止されるという事態に。
今まで7年程使ってきて、十分なアクセスがあるのに「アクセスがないのでアカウントを削除する」と度々言ってくるなど相当におかしな業者ではあったが、さすがにこれは呆れる。
外部の業者に委託して自動検出した、と主張している。Deep learningしたAIのようなものにやらせたようだ。何ら違反が無くてもこの結果。
誤検出だと思うならサイトの詳細とパスポート等身分証明書を送れと言ってきたが、こんないい加減な業者にそんな情報渡すわけがない。
リソースだけ食って金にならないユーザーを追い出すための方便かもしれない。


他に使えそうなサーバーを探してみたものの、今後はきちんとしたものを使いたいので有料サーバーを選ぶべきだろう。
だがふと考えた。
このサーバーは誰のためのものなのか、と。
CSのマッパーとして活動していた時は作品を置く場が必要だった。あの時は是非とも必要で、年に10万ほどコストがかかっても迷わずサイトを立ち上げたが、作品も古くなって価値が薄れ、その後ブラウザ用のアドオンを作ったが、これはこれでホストする場があるうえFirefoxの変化によって既にあるものは遠くない将来大多数のユーザーにとって使えないものになり、自分は使うが自分用に作ったものをわざわざ世間に出す必要性や弊害を考えるともう公開しなくていい、むしろしない方がいい、とも思える。
Webサイトを廃止してもいいかもしれない。


ドメインを更新したばかりで1年間は使える。更新直前にこういう出来事が重なっていたらもう廃止していたかもしれない。


Webサイトを廃止したらどうなるのか思いを巡らしてみると、あれがないとネット上で自分が何者なのか不明になるというか、この名でネットに何かを書いても説得力がなくなるというか、本名でなくてもある意味名を名乗って発言することにはそれなりに重みがあったんだということに気づかされる。


今はどうするか考え中のままにしておこう。

今時ニュースってどこで集めるのが正しいんだろう

今やどこからくる情報も例外なく仲介者の意図によって何がしかの色彩を帯びていて、ストレートに生の情報を得るのが非常に難しい。
本当に正確な事を知らなければいけないものについては自分の目で直接確認しに行かないとどうにもならない。
これではネットが無い時代をと変わらないではないか。


実のところ現地に赴いて見聞きする方が楽しい。
リアルに、本物に接する体験も良い。
VRとかARとか流行らそうとしている人たちがいて、ゲーム等架空の世界を表現するのにはいいかもしれないが、現実はやはりリアルそのものにこそ価値がある。


重要だとは思わない自分で確認する気のないニュースの内容などあまり本気で聞くべきでないのか。

サーバーがダウンしている、クラウドの弊害

朝からサーバーがダウンしている。
業者がクラウドに移行したせいでダウンするときはすべてまとめてダウンする仕様になったようだ。
だが文句を言う人がほとんどいない。もともと期待してないのか。
新しいシステムになっても設定や運用のいい加減さは以前と変わらないという印象はあったが、ダウンしたまま半日放置するほどだったとは。
移行するまでは当たりのサーバーを確保できればダウンなど基本的にしなかったのに残念だ。

YouTubeで広告掲載が再生回数で制限されるらしい

この世のすべてをインデックス化することを社の目標として掲げ、AI研究で最先端を行き、何でも知ってる、何でもわかるはずのGoogleが、広告主の望まないものへの広告掲載を防ぐというその程度の目的のために導入したのが「再生回数が1万回以下のチャンネルには広告を出さない」という、子供でも思いつきそうな単純で一律のルールだった。
システムの不備を人を排除することで解決しようという発想も筋が悪い。


個人的にAIには常に懐疑的で、特にAIには善悪の判断が無い以上悪意に対抗することができないのは致命的欠陥だというほかない。
元々AIが導入されるのは人間の感情に左右されないように自動的に処理を繰り返し続けることを目的としていることがほとんどだと思うが、そこには罪悪感を感じなくて済むというのも含まれているように思う。
そして機械的に利益や便益を最大化することを目指す。しかしこの「最大化」も、生身の人間の世界では、常に限界を試し続けるような行為は危険視されたり挑戦と受け止められたり、常に無条件に歓迎されるものではあるまい。


Googleは社内向けのモットーとして"Don't be evil."と言っているらしいが、大道廃れて仁義あり、Googleが本来的にEvilであるからこそこの標語が必要とされるのであって、昨今の問題は単にGoogleが本領を発揮しただけなのだろう。
こういう事態を予想していた人も多いだろうと思う。


なんとも言葉にならない気分なのだが、たぶん自動運転車が人を轢くところを目撃したら同じ気分になるにちがいない。

歴史は繰り返す、よく言われるのとは違う形で

いろんな文献や研究を調べていくと、もうかれこれ千数百年以上も似たようなことが幾度となく繰り返されていて、しかも個々の出来事は繰り返される歴史としてではなく前代未聞の事件として記されている。
歴史を書き残すような人が記しているんだから書いた人は歴史についてそこそこ知っていて書いたはずなのに、表面的な事象だけを取り上げていてその根底にある人間と社会の力学のようなものには全く触れず、単に触れていないどころかそもそも視野に入っていないというか、理解能力が完全に欠落しているか、あるいはもしかしたら黙殺によって歴史の闇に葬ろうとしているのかと思うようなものばかりだ。
そしてある種の秩序の転換が起こる時には同時に言語の変化も起こっていて、今もたくさんの人が日々使う言葉の変化でも同様のことが起こっているのだろうし、たまたまネットがあるおかげでそれをつぶさに観察できているのだろう。
使う言葉で自分が社会の中のどの層に属するかを現すことになり、それゆえ自らが使う言葉が主導権を握るように社会を誘導することが階級闘争の類と同一視されるのではないか。しかし残念ながらその目論見が失敗すると、大抵は失敗するのだが、単に階層の断絶が明確化するだけでより落差が顕著になるのだろう。
数年前からネットには言葉がまるで通じない人がいる、理解力が無いというのでは説明がつかない、何をどう説明しても"彼ら"の宇宙の中で彼らの有りようを脅かさない位置に配置するだけな人たちが現実にいる、というのを目の当たりにしてきたが、それは単にそういう人たちでも利用できるようにネットやネットに接続するデバイス或いはそこに彼らを誘導する"通訳"にあたる仕組みが普及したためにこちらからいくらでも見えるようになっただけで、似たような断絶や摩擦に近い齟齬ははるか昔から続いているわけだ。


一方ネット以前から続いている現実社会では、そういう変化からいわゆる伝統とかしきたりを守ろうとして色々意地を張り通したり排除や抵抗のための手練手管を発達させたために結局彼らが当初下等だと決めつけていたものと同等かそれ以下の品の無い存在に成り下がってしまったものが至る所にある。
あれはあれで駄目なのは一目瞭然だろう。


いろいろ考えてみても、古代から似たようなことが続いているのだ。多分これからも変わらないのだろう。
頭でいくら考えても何がしかの結論が出るわけではなく、それ以前に感情的には非常に奥底から湧き上がるものとしてかなりはっきりと答えが出ている。
古代人がそうであったのと同様に、自分がどうすべきかもはっきりしているし、古代人たちと同様に責任を問われることもない。
自分が数千年前からまるで進歩していない生き物の一匹だという点について諦められれば、いくらか楽になれるのかもしれない。