HTCが不調で、RIMはもう終わりかもしれない

Desireとかが出てきた頃はHTCが携帯端末の世界を制覇するんじゃないかとも思ったが、あれから時間が経ってみるとAndroidではサムスンが圧倒的な地位を築いていて全然違う様相になっている。
それ以上に、Androidが出てくる以前にあんなに欧米でもてはやされていたBlackBerryがさっぱりだめで、もはや企業としての存続すら怪しい。
変遷をよく見ていくと、やはり資本力がものをいっているのだと考えるべきなんだろう。
RIMがいかにいい物を作ってそれが市場で受け入れられていようとも、桁の違うプレーヤーが現れて同じことができるものを売ったら勝ち目はない。
HTCがいくらいい物を作っても、圧倒的な資金規模を誇るメーカーが総力を挙げて対抗してきたらやはり勝ち目はない。
規模ではるかに劣る、従って原価で勝負できない、普及価格帯で勝負できない、やむを得ず高価格帯で超高機能のものを出して活路を見出そうとする。
これでは日本のメーカーが携帯電話で失敗し撤退していく過程で起こったことと大体同じ。
台湾勢が特殊な需要がある日本への取り組みを強めるとか言ってたのもこの流れではないか。
本当にそうならこの道は死地へ向かう道なわけで、足を踏み入れたらもう挽回は不可能に思える。


で、今や携帯なりスマートフォンは生活必需品で消耗品で、そういう意味では歯ブラシやトイレットペーパーみたいに必要十分を出来るだけ安く買おうとするものになっていて、一方で生産現場では問答無用資本規模がものをいう重厚長大産業そのものになっている。
一度覇権を握ると失うことはそうそうない形態で、ここをしっかり取った韓国の将来は明るい。
大きすぎない国に"ブルドーザー"の異名を取る企業経営者出身の大統領がいるからこそ実現できたのだろうと思う。
ただ、国としては国際舞台で脚光を浴びることは出来るかもしれないが、そのために国内で払われた代償や放置されている問題を見ると、後々どう評価されるかはなんとも言えない。


日本はというと、そういうコモディティ化してしまう分野で十分な競争力を持っていたのはバブル以前までの話で、今は結局高価格超高機能超高性能、しかも生身の人間として一朝一夕には真似のしようがない感性がものをいう分野が特に強い。
デジタルな時代のスイス的ポジションを取ることになるのかもしれない。
確かに世紀の変わり目ごろには日本は東洋のスイスになるとよく言われていた。
あの頃特に話題になっていたのは、経済状況や国際的地位だけでなく社会問題もスイスに似るはずだ、ということだった。
残念なことに、その通りになっている。