マニュアルの書き方ってどういうのが良いのか

現状用意してあるものは、大雑把に言うと、どうすればどうなるかを列挙してあって、それをどのように使うかは使い手次第、というスタンスにしてある。
基本的にはこれでいいだろうと思う。
ところがある限られた人種はこれではダメで、具体的作業の見本を見ないとわからないらしい。
で、そういうのを要求しておいて、俺みたいな人間でも使えるようにinstructionを整備すればユーザーがもっと増えるはずだ、などと言う。稼げるとか言ってきたやつもいた。
いやいや、こんな簡単な物の使い方も理解できないやつが何偉そうなこと言ってんだよ、って話だ。
メールを送ってきているのでメールアドレスを見つけることはできたわけで、その程度調べることができるのになぜ使い方を調べる自助努力ができないのか理解しかねる。
そもそも機能させる段階で躓くようなやつに手とり足とり見本見せて教えて最初の敷居で躓かないようにしてみたところで、その先使いこなすのはまず無理だと思う。
その辺考えて程良い高さの敷居になるようにしてあるつもりなのだが、その敷居を見て「ああ自分には無理だ」と判断するのではなく、「敷居が高すぎる、もっと低くなるべきだ」と言葉に出して主張する、そういう人種がいる。


車に例えれば、普通は運転の仕方を教えるというのは操作すべきものがそれぞれどう操作すればどういう挙動になるかを教えることだと思う。
ハンドルを時計回りに回せば右に曲がる、アクセルを踏めばスピードが上がる、ブレーキを踏めば云々。
教習所では主にどういう挙動になるのかを安全に失敗できる環境で試行錯誤しながら覚える。
既に運転できる人同士が語るドライビングテクニックの類をみせるようなのを「車の運転を教える」とは言わない。
だがあの種の人間は最低限のことを調べることもせずにその"ドライビングテクニック"を見せろという。
しかしそう言ってるくせに本人が実際見たいと欲しているのはドアの開け方だ、というような次元。
ドアの開け方について説明した文章は何度も視界に入っているのに読もうとしないのか読んでも理解できなかったのか。
そういう人が、「俺みたいな馬鹿ですぐわかるような説明書きにすれば自動車運転できる人増えると思うよ」とか言ったら周りは呆気にとられるだろう。
ドアの開け方がわからないので自動車を運転できない、という人は極めて希だと思う。
そういう大人に対する一番まともな助言というかリアクションは「君は運転しない方がいい」ではないか。


幼児に置き換えればもっとわかりやすい。
ようやくハイハイ始めた子が目の前にぬいぐるみかなんか障害物があって前進叶わなくなった、行きたい方に行けない、望みが叶わない、で、泣き出した、というようなもんだ。
状況が把握できてない以前に自分についてもあまりわかっていない。
泣き方を工夫すれば誰かがなんとかしてくれる、そういう発想というか行動様式だけを抱いて歳とったのだと考えると、ああいう"ユーザー"の正体が少しわかった気になれる。


で。
そういうのが来たらどう対処するのが一番いいか。
高めにしといた敷居より身長低いような感じの人は全部無視しとくという選択も有ろうが、しかしかつての自分も敷居を扉と間違えて「開かない!」と文句言ってたような時期があって、その時自分を邪険に扱った"上級者"に怨みに近い感情を今でも持っていて、あの時のクソ上級者のようにだけはなりたくないという気持ちが強くあり、無視してしまったら多分同類だしそれは避けたい。


質問を投げかけられたときに努力の跡が見え陥りがちな所ではまっていたりするとすぐ手助けする気にもなるが、"例の人種"がきて滅茶苦茶なこと言って、それでいてこっちはよく知ってるから求められている答えはわかっていて、しかしそれを教える気にはなれなくて、要求されるまま教えると略奪されているような気分なのだ。


そうか、気分の問題なのだ。
ロジックで明確な線引きをして対応しようとするから難しいのだ。
今後は感情的対応を心がけよう。