ふと気づくとGoogleで検索はしていない

何かについて検索するとき、Googleで検索しても上の方にでてくるのはWikipediaであったり音楽ネタならLast.fmであったり、その分野の詳しい情報が集められているサイトなことが多い。
で、そういうのが何度も続くと、面倒なので最初からそのサイトで調べるようになってしまう。
本当に全く何も知らないものについて調べるときはその取っ掛かりが掴めるという意味でGoogleでの検索結果に頼ることになるが、その程度だったら他のサーチエンジンで充分事足りる。
というか、もしかしたら他のサーチエンジンの方がいいかもしれない。


毎日Googleを使ってはいる。
しかしそれはGmailとか Google Reader を使っているのであって、検索という本来の用途、Googleにとって最大の売りであるはずのものは、初期のYahoo!と同程度にしか役に立っていない。


そもそもなぜより良いサーチエンジンが必要とされるのか。
他の大多数の人が知らないことを見出すのが目的だろう。
ところがGoogleのように多くの人が使うようになってしまうと、Googleで調べて見つけたものは他のGoogleユーザーも知っているわけで、特段新しい知見では有り得なくなる。
そして困ったことに、Googleはユーザーがどの検索結果を選んだかをその後の検索の”精度向上”に役立てているわけで、知名度が上がり、シェアを拡大し、いつも流行に遅れてついてくるような人まで使うようになると、そういう人向けの検索結果にだんだんシフトしていってしまうことが避けられないはずだ。
マス化する、とでも言うべきか。
そうなるとGoogleの強みであったはずの検索機能がゆっくりと、しかし後戻りできない形で変質してしまい、初期のGoogleを高く評価しその地位を上げる原動力となった人たちから逆に「もうGoogleは駄目だ」と見捨てられて一気に没落していく可能性だって無いとは言えない。
事実、AltaVistaは検索トップの座にいたのにわずか2年でGoogleに取って代わられてしまった。


さて、今Googleの森の中でしか生活できていない感じになっている。
以前は適当に調べていると何だか分からないがものすごく面白そうなものに出くわしていた。
が、最近それが無い。
以前は虫取り網を手に林の中に分け入って蝶を捕まえたりしていたような感じだったと思うが、今は林全体に網を仕掛けておいて通りかかった虫は全部捕まえて綺麗な蝶とか特大のカブトムシ以外全部捨てているような気分なのだ。
適当に見ているだけでいくらでも新しいコンテンツが湧いて出てくるが、それらの大半を何の価値も無いものとして捨てている。
捨てられずに残るものは、ほとんどの場合すでに広く知れ渡ってしまっている。
つまらん。


悪い意味でいろんな人がネットを使うようになって、それが元で事実上使い物にならなくなってしまった検索手段もある。
今は事実上Webでしか調べ物ができない。
人づてに聞く、ということすらSNS等を使ってWeb上で行われている。
フラットな環境ができてシンプルに一貫したやり方ができるようになったのだから、以前よりあらゆる意味で向上していてよさそうなのだが、実際には全然そうはなっていない。


常用するサーチエンジンをかえようか。