無限ループワークに興じる人たちはそこからどんな便益を得ているのか

どう考えても問題解決に当たってほとんど無意味だったり絶望的に非効率だったりする方法で延々作業を繰り返す人たちってのは、あれはなにかいいことがあってやってるんだろうか。


時々聞く仕事でスクリプト組むなりして自動化すれば物の数秒で終わるものをひたすら手作業でやってるような人は、あれは新しいことを学んだり考えたりすることなく同じ単純作業でいつまでも稼ぎ続けられる、いわばボーナスステージみたいなものを手に入れた感覚でやってるんだろう。
実際に目的に向かってどの程度進んだかではなく、PCに向かって何か作業のようなことをしていた時間に対して報酬が支払われる構造が原因だと思う。


しかしたまに見かける何の利益もないのにひたすら無駄なハードワークを続けている人は面白いわけでもないのに文句言いながらどういうモチベーションがあってそんな苦行を続けられるのかさっぱり理解できない。
無駄だって事に気づけないんだろうか。
本人的限界超高速で捌き続けてもどんどん積み上がっていく、下手すりゃ一つ捌くことで複数の新たなタスクが生じるような状態なら、それは事実上遂行不可能でアプローチが間違っていると判断して然るべきなのに、そうしない。
それどころか、需要が増えるということこそこの作業の価値の証だ、くらいに考えていそうに見える。


なんだろうな、ああいう連中。
なにかごっこ遊びの類か。
忙しい人ごっこ、忙殺される人ごっこ、みたいな。

Firefox 6

Ubuntu Mozilla Daily でFirefox4が6にアップデートされた。
現環境で4が使えなくなった。Linuxでは使ってないので困りはしないが。
使えなくなったというか、置き換えられた感じなのか。
そしてアドオンが全部使えなくなったので、使えるようにいじっておく。
自分のアドオンも対応させアップデート。
今後短期間でメジャーバージョンナンバーが上がっていくということは、こういう作業を頻繁にやらなきゃならないということだ。
面倒な事してくれるもんだ。
もういっそmaxVersionを999とかにしてしまおうか。


6では4で最後まで結局直らなかった不具合が解消されていて普通に使える。

しばらく6を使ってみようと思う

Linuxでは4の不具合が残ったままで実用的でなかったため3.6のままにするつもりだったが、6の出来が思いのほか良いのでしばらく使ってみようと思う。
3.6と4ではUIの配置が違ったりコンテクストメニューの並び順が違ったりで混乱しがちだったので、これで統一できてすっきりする。
当然まだαなのでこの先色々変更が加わってあんばい悪くなるかもしれない。3.7の時は最初良かったのにだんだんおかしくなっていって最終的に4になって使えなくなってしまった。そうならないとは限らない。
とはいえ、3.6から3.7/4にアップデートする時のように大幅な追加や変更はしばらくなさそうなのであまり心配はいらないだろう。
なぜ5がなくていきなり6なのかは一応気になっている。

3.6、4、5、6が全部使える状態

64bit XPに4、32bit XPに5、Linuxに3.6と6。
いろいろ使える。
いやむしろアドオンアップデートごとにいちいち全部動作確認するのが面倒。
Chromeみたいに次々とバージョンナンバー上げたいなら、ほぼ強制的にアップデートされて皆が常に最新バージョン使うようにするべき。
それができないのにただ番号だけどんどん上げると混乱が生じるだけではないか。


バージョンナンバーは上がっているが、5も6も中身は4とあまり変わらない。
アドオンはそのまま動き、コードをいじる必要はない。