ずいぶん時間が経った気がしている

もう数年経ったように感じていた。
実際には8か月ほどだった。
年の初めとは何もかも変わった感じがしている。


書くに値しないことは書くべきでない、書くに値する知識や知見は自分一人で独占したい、そう思って書かずにいた。
それはそれで良かったと思う一方、単に書くことそのものによって得られるものがあって、そっちは決定的に欠落していてこっちは良くない。
ここには書かなくてもTwitter等には事あるごとにあれこれ書いていて、そういう意味では何もしていないわけではないものの、ある程度まとまった長さで文章を組み立てるほうが面白いし意味のある考察につながりやすい。


書かずにきちんと考える習慣が身についてきたせいでそれほど書く必要がなくなってきたのは確かにそうかもしれない。
PCを使う時間が減りスマートホンを使う時間が増えてきたせいで記録の残し方も変わってきた。
機動力が増した、と表現できるかもしれない。だが自分自身が必要以上に流転する存在になってしまって、根無し草とまでは言わないまでも、重心が不明というか、基点がよくわからないようだと歩を進めにくいのではないかな、と感じることも多い。


長いこと必要以上に縛られて嫌な気分になっていた反動もあったのかもしれない。
バランスの問題だろう。

人の手を経た情報の方がいいか、生の情報の方がいいか

情報収集をするにあたって、できるだけ一次情報に近いほうがいいと思ったり、やはり昔からあるメディアは多くの人の手と目を経ている分一定以上の質が保たれていると思ったり、時期や状況によっていろいろ考えが定まらないでいる。
一定の質が保たれるものは最低限の質が保たれる一方で最高側も限られる。
鮮度やら臨場感やら探り当てた感がほとばしるような最高の記事というのは極めて自由に取材して幸運に恵まれて作り出されるもので、それが連続することは極稀だ。
またどこに軸足を置いているのかで同じ事実に直面しても捉え方や理解の深さや方向性が随分変わるもので、自分とあまりにも違う前提で書かれたものは時に意味不明で、しかし自分とあまりにも似た視点で書かれたものも読んでも時間の無駄になるだけだ。
結局、なんだかよくわからないなと思いながらいろんなものを合わせ読んで再構成していくほかなく、したがって無駄のない情報収集というのはあり得ないということになる。
もうそういうものだと割り切って、その上でなるべく効率よく見ていくしかない。
そしてどうしてももっと詳しく知りたい、誰よりもきちんと理解しておきたいと思うものについては自分の目と耳で直接接するに限る。

肩の荷が下りて楽になる

Firefox用のアドオンの開発は自分で必要にならない限り当分やらないと決めてしばらくたつ。
やらなくなると自分で考えていた以上に義務感から続けていた面が強かったと感じる。
アップデートが無くても日頃行っていた諸々の情報収集も必要なくなり、解放されて気分的にずいぶん楽になった。
遊びの延長でやっているつもりだったが苦痛の方が大きかったのだろう。
極めつけがFirefoxのエコシステムから出て行けという意思表示に直面して、ほんとにどうでもよくなってしまった。


主に使うブラウザはもうだいぶ前からChromeになっている。
ずいぶん前に試したときはまだ自分の期待に及ばない部分があったが、今はアドオンも充実していて問題ない。


情報の集め方は今まで数年おきに変わってきた通りまた少し変わることになって、このメリットが意外と大きい。
時間の節約にもなる。
Thunderbirdの使用もやめるかもしれない。必ずしも必要ではなくなってきた。FirefoxどころかMozilla製品すべてを使わなくなることになるのだろうか。


とにかく、楽な方、手軽な方を選ぶ。
ただそれだけのこと。

サーバーを失った

サーバーのダウンが続いていたが、どうしたことか、Abuseを理由としてアカウントが停止されるという事態に。
今まで7年程使ってきて、十分なアクセスがあるのに「アクセスがないのでアカウントを削除する」と度々言ってくるなど相当におかしな業者ではあったが、さすがにこれは呆れる。
外部の業者に委託して自動検出した、と主張している。Deep learningしたAIのようなものにやらせたようだ。何ら違反が無くてもこの結果。
誤検出だと思うならサイトの詳細とパスポート等身分証明書を送れと言ってきたが、こんないい加減な業者にそんな情報渡すわけがない。
リソースだけ食って金にならないユーザーを追い出すための方便かもしれない。


他に使えそうなサーバーを探してみたものの、今後はきちんとしたものを使いたいので有料サーバーを選ぶべきだろう。
だがふと考えた。
このサーバーは誰のためのものなのか、と。
CSのマッパーとして活動していた時は作品を置く場が必要だった。あの時は是非とも必要で、年に10万ほどコストがかかっても迷わずサイトを立ち上げたが、作品も古くなって価値が薄れ、その後ブラウザ用のアドオンを作ったが、これはこれでホストする場があるうえFirefoxの変化によって既にあるものは遠くない将来大多数のユーザーにとって使えないものになり、自分は使うが自分用に作ったものをわざわざ世間に出す必要性や弊害を考えるともう公開しなくていい、むしろしない方がいい、とも思える。
Webサイトを廃止してもいいかもしれない。


ドメインを更新したばかりで1年間は使える。更新直前にこういう出来事が重なっていたらもう廃止していたかもしれない。


Webサイトを廃止したらどうなるのか思いを巡らしてみると、あれがないとネット上で自分が何者なのか不明になるというか、この名でネットに何かを書いても説得力がなくなるというか、本名でなくてもある意味名を名乗って発言することにはそれなりに重みがあったんだということに気づかされる。


今はどうするか考え中のままにしておこう。

今時ニュースってどこで集めるのが正しいんだろう

今やどこからくる情報も例外なく仲介者の意図によって何がしかの色彩を帯びていて、ストレートに生の情報を得るのが非常に難しい。
本当に正確な事を知らなければいけないものについては自分の目で直接確認しに行かないとどうにもならない。
これではネットが無い時代をと変わらないではないか。


実のところ現地に赴いて見聞きする方が楽しい。
リアルに、本物に接する体験も良い。
VRとかARとか流行らそうとしている人たちがいて、ゲーム等架空の世界を表現するのにはいいかもしれないが、現実はやはりリアルそのものにこそ価値がある。


重要だとは思わない自分で確認する気のないニュースの内容などあまり本気で聞くべきでないのか。