真実は自ら語らない

調べ物をするには専らネットを使うが、その際目的のものに到達するよう努めるのと同時にノイズの影響を受けないようにする。
が、ノイズしかないような場合もあって、常に手に入れたデータからなにがしか意味のある情報を得ようとするのでそういう場合でも無理矢理意味のありそうなことを抽出してみるのだが、そもそもノイズしかないデータをどういじっても無意味か或いは間違った情報しか出てこない。
問題は、無意味な情報であることにどうやったら気づけるか、だ。
たいていは「なんかこれ変じゃないか」という直感から調べ直すことで見付かるが、諸々突き合わせて整合性を確認する程度のことしか出来ない。


本当のデータ、本当に役に立つデータは、あえてその存在を誇示する必要がないため埋没しがちであって、逆に恣意的に作られたものは不自然に目立つことがある。
リンクをたどりながら調べるときは妙なリンクに気づくことがあり、除外することが出来ている。
たぶんGoogleなんかはインデックス化するときに似たような方法を使っているんだろうと思う。
ただ、いわゆる都市伝説のような、まったく事実無根で噂がひろまるにつれ尾ひれがついて誇張され、人から人に伝わるたびに尤もらしい脚色が加えられているようなものは、多くの人が信じきってしまっているのでそのまままるごと本当の話として語られ、作られたデータの特徴を備えていないことが多い。


こういうときに唯一有用なのは、知識を使わずに判断する、という方法。
先入観を持たないというのとは違う。
情報を得たい、つまり知識を増やそうとしているときにこんなやり方をするのは矛盾しているようではあるが、知識に頼ろうとすると言葉に騙される可能性が増えるわけで、言葉を離れた立場から考えると意外とすっきり見抜ける。


ところが世間ではそういうことは決して行われない。
何かにつけて新しい言葉を作る。
自分で勝手にそれまで無かった誰も知らない言葉を作っておいて、その言葉を知っているから他人より知識が多いとでも言わんばかりの"働き者"を時々見かけるが、ああいうのは社会にとって害悪でしかないと思う。
本来もっと単純だった話を余計な言葉を創造して持ち込むことで救いがたく複雑なものにして得意満面な人は、血祭りにあげて差し支えないと思う。