レディメイド感はネットサービスの敵

ちょっと前からGmailのデザインを変えられるようになっていたが、Google Readerと同じデザインにしたかったので古いもののままにしていた。
Google Readerの方が独自のシンプルデザインになったのでGmailの方も新しいデフォルトのデザインに変えたのだが、両方のデザインの変遷を考えるとなんだかどんどん開発中感が増しているように感じる。
実際たえず改良を重ねているのだろうし、時々ガラッと開発方針が変わるあたりを見ると担当する人間が代わることによる変化もあるんだろう。
で、この微妙に中途半端なようでその時点ではベストなデザインが息の長いサイトに共通しているように思う。
かつて盤石の地位にあった初期のYahoo然り、2ちゃんねる然り、そしてGoogleも。
それとは逆に、きっちり作って出来上がりです完成形ですさあお客様方どうぞお使いくださいませ、みたいな空気をたっぷり含んだサイトはだいたい続かない。


Webでは新しい情報が新鮮なうちに世界津々浦々にまで届く。
悪事でなくても瞬く間に万里を走る。
そういうのが当たり前の世界では、”出来上がり。“とか”完成形“というのは、世に放たれた次の瞬間から直ちに古いものになっていくのであって、あるサイトが常に新しいものでありつづけるためには、”まさに今開発中で次々に新しいものが飛び出してくる“状況を継続しなければならない。
実際にはそれは不可能で、というか、実際にはある時点で全力を注いでから出すわけで、変化のない期間がどうしても発生する。
その期間中、今まさに開発中だ、という意識を持てることがユーザーに常に新しいと感じさせることにつながるんだろうと思う。
また、シンプルなサービスの方が一応の完成形として決まった枠組みに押し込められているものよりも新しい要素を追加しやすいということが事実進歩を続けるために有利に働いているのも間違いないだろう。


こんなことを特に動画サイトのデザインで感じる。
隅々まできっちり作り込みましたボクタチ頑張りまちた、みたいなサイトはことごとく失敗して消えている。
一方でキャンバスの真ん中に必要なものだけをとりあえず並べてみたような、そのサイトのサービスにとってどうでもいい要素がほとんど無いものは生き残っている。


同潤会アパートが無くなった後の表参道には行く気がしないのと似てるかも。