NHKで新聞やテレビの将来を憂える番組を見たのだが

こういう爺さんが上で仕切ろうとしているようでは将来はないな、と確信。


見ているこっちはいつものようにテレビをPCにウインドウで表示し、同時にNHK WorldとBloombergのネット放送を流し、Ustreamで飲みながら野次飛ばしている一団を見つつTwitterで二つのハッシュタグを追い、その間メールが着たら都度チェックしていた。
見られる側はそんな状態で見られているとは想像できていないだろうと思う。
ネット経由では情報源という意味では数限りないチャンネルが存在しているわけで、テレビの放送局はその数千なり数万、あるいはそれ以上あるチャンネルの一つでしかないのだということを、やはりテレビ局を経営している連中はわかっていないようだった。


「経営している連中」と書いてちょっと違和感を感じたのだが、見た印象では、彼らは自分たちが一私企業を経営しているという自覚はほとんどないようだった。
自分たちが貴族か特権階級のようなもので、その権威を汚すものは全て不届きな無礼者だ、とでも考えているのかな、という感じ。
多種多様なメディアがレースをしているのだとすれば、新聞やテレビはもう10周くらい周回遅れになっているのであって、たぶん周りを見ても自分たちが最後尾付近にいることも把握できないだろうし、まして先頭を走るプレーヤがどこにいるか、何をどのようにどんなペースで実行すれば追いつけるのかなど到底わからなくなっているんだろう。


その様子をネットを多用する人たちは遠巻きに眺めている。
旧来のメディアは自らの醜態を俯瞰することもできない。
あるいは無意識に、もしかしたら意図的に、俯瞰することを避けているのかもしれない。
いずれにしても自らの危機をニュースとして受け手に送り出すことができていない。
受け手の知への欲求に応えられていない。
この部分については報道機関失格ですらある。


情報リテラシーに差がついてしまうと、先行する者は「情報リテラシーについての情報」も効率的に集めることができるようになるわけで、後続との差は広がる一方なのだが、置いていかれている人たちはそのことにすら気付けない。
そんなことはない、どこかで目覚めて猛追してくるはず、と思っていたが、この数年の間状況はたいして変わらなかった。
老人達が力んで決意表明してみたって、そんなものは業界の復活になど繋がりはしない。


まあ正直なところ、テレビや新聞がどうなろうと自分にとってはどうでもいい話。