歴史は繰り返す、よく言われるのとは違う形で

いろんな文献や研究を調べていくと、もうかれこれ千数百年以上も似たようなことが幾度となく繰り返されていて、しかも個々の出来事は繰り返される歴史としてではなく前代未聞の事件として記されている。
歴史を書き残すような人が記しているんだから書いた人は歴史についてそこそこ知っていて書いたはずなのに、表面的な事象だけを取り上げていてその根底にある人間と社会の力学のようなものには全く触れず、単に触れていないどころかそもそも視野に入っていないというか、理解能力が完全に欠落しているか、あるいはもしかしたら黙殺によって歴史の闇に葬ろうとしているのかと思うようなものばかりだ。
そしてある種の秩序の転換が起こる時には同時に言語の変化も起こっていて、今もたくさんの人が日々使う言葉の変化でも同様のことが起こっているのだろうし、たまたまネットがあるおかげでそれをつぶさに観察できているのだろう。
使う言葉で自分が社会の中のどの層に属するかを現すことになり、それゆえ自らが使う言葉が主導権を握るように社会を誘導することが階級闘争の類と同一視されるのではないか。しかし残念ながらその目論見が失敗すると、大抵は失敗するのだが、単に階層の断絶が明確化するだけでより落差が顕著になるのだろう。
数年前からネットには言葉がまるで通じない人がいる、理解力が無いというのでは説明がつかない、何をどう説明しても"彼ら"の宇宙の中で彼らの有りようを脅かさない位置に配置するだけな人たちが現実にいる、というのを目の当たりにしてきたが、それは単にそういう人たちでも利用できるようにネットやネットに接続するデバイス或いはそこに彼らを誘導する"通訳"にあたる仕組みが普及したためにこちらからいくらでも見えるようになっただけで、似たような断絶や摩擦に近い齟齬ははるか昔から続いているわけだ。


一方ネット以前から続いている現実社会では、そういう変化からいわゆる伝統とかしきたりを守ろうとして色々意地を張り通したり排除や抵抗のための手練手管を発達させたために結局彼らが当初下等だと決めつけていたものと同等かそれ以下の品の無い存在に成り下がってしまったものが至る所にある。
あれはあれで駄目なのは一目瞭然だろう。


いろいろ考えてみても、古代から似たようなことが続いているのだ。多分これからも変わらないのだろう。
頭でいくら考えても何がしかの結論が出るわけではなく、それ以前に感情的には非常に奥底から湧き上がるものとしてかなりはっきりと答えが出ている。
古代人がそうであったのと同様に、自分がどうすべきかもはっきりしているし、古代人たちと同様に責任を問われることもない。
自分が数千年前からまるで進歩していない生き物の一匹だという点について諦められれば、いくらか楽になれるのかもしれない。

サーバーをオランダに移転した

Webサイトのサーバーを借りている業者がシステムを一新するにあたってアメリカ中部にあるデータセンターからオランダにあるデータセンターに移転した。
独自ドメインを使っている関係で自動的には処理されなかったが、他の業者に乗り換える理由も特にないので手作業で移転。
以前のように一台の物理マシンに入居するような形ではなく、何やらクラウドのようなものの上に配置されているようで、IPアドレスが頻繁に変わる。それに加えてうちのサイトとしては初めてIPv6のアドレスも割り当てられるようになり、おそらくこれも固定ではないので、DNSサーバーにAやAAAAレコードを指定するやり方はせずCNAMEで指定。
最初はCNAMEで指定していたはずだがいつどんな理由でAレコードを指定するようになったのかよく覚えていない。まあ問題なく動いているからこれでいいだろう。
サーバーに何を使っているのか全くわからず、当初.htaccessの設定内容が反映されていなかったのでApache以外の何かだと考えていたが、ふと思いついて.htaccess内の記述の順番を変えたらその通りの挙動になったのでやはりApacheか。
以前動いていたのだし転送等以外順番など関係ないと思っていたが、そうでもないらしい。
旧サーバーと比べると性能は確実に上がっていて、コントロールパネルもモダンなものに変わった。


アクセス状況から考えるとイギリスかオランダあたりにサーバーを置くと都合が良いと以前から思ってはいたが、一方で自分がアクセスすることを考えるとアメリカの方がよかった。実際新サーバーは自分がアクセスした時の表示は遅い。
まあ複雑なことはしないサイトで遅いと言っても知れているのでこれでいいだろう。

1年が経った

丸一年書いていなかった。
書かなくなった理由は二点。
一つ目は、同類だと思われたくないという思いが強くなったからだった。ブログを書いている人、はてなを使っている人、属性はいろいろあろうが、あんなのと同類だと思われたくないと思う人々が増えて、嫌悪感が理由で関わりたくないと感じていたからだった。
もう一つは、自分自身書いていることがネガティブな事ばかりで、そういう批判的な事ばかり書いているとそういう発想しかできない人間になっていきそうでやめるべきだと考えたからだった。


丸一年経ってみて、まず頭の中で考えて出さずにいると健康に悪いような気がしている。
いろんなものが頭に入ってきて、頭の中でなにがしかの変化を起こして、その結果得られるものや出力できるものがあって、しかし出さずに頭の中に残っている結局何の栄養にもならなかったような、消化に失敗したりしきれなかったようなもの、ある意味では排泄物のようなもので、しかし何かの栄養とか土壌にはなりうるような副産物のような、そういうものがひたすら貯まっているように感じる。
吐き出した方がいい。発酵程度ならいいが実際は腐敗しているように感じている。
前にも似たようなことを考えたことがあったように思ってさかのぼってみたら、約10年前にも言っていた。


自分自身の考えが自分で思っていたほど安定していないというのもある。
書き留めておけばその変遷が分かるが、書かずにいるとただの一貫性の無い人なのではないか。その変遷の証人が必要だ。


それに過去自分が書いたものを見てみればその自分が同類だと思われたくないと思った人達と大して変わらないようにも思える。


そしてこうやって自分の変化にはっきり気付けているのは何より以前ここにいろんなことを書いたからであって、無いよりはあった方がいい。
いろいろ考えて思うところあっても誰か人に言うわけにもいかないような話を頭から追い出すという意味でも役に立っていた。

MozillaはXUL廃止を本当に実行に移すのだろうか

MozillaFirefoxXPCOMXULを廃止すると決定してからずいぶん時間が経って、昨年末に渋々自分もちょっと手を動かしてアドオンを作り直そうとしてみた。
一番簡単な構造のものはたぶん一番簡単だからこれで基本形を理解してからほかに移ろうと思い、以前からbootstrap型に作り替えようと何度か試みていたのだが、さっぱりうまくいかず、今回もやはり失敗。
一方でXPCOMを使っていて一番手間取るだろうと思っていたものは手を付けて数時間で完成してしまった。
構造が簡単な方はFirefoxデフォルトのUIを変更するものなのでその辺が引っ掛かってうまくいかないのかもしれないとは思うのだが、やる気が失せて結局放置状態。
オーバーレイ型からbootstrap型に作り替えるに当たっていろいろ調べたが、これに際して見つけたMDNのドキュメントがいい加減を通り越して嘘の塊で、サンプルコードは動かず、この動かないコードを書き込んだのは各所で嘘出鱈目吹聴しているような人物で、こんな奴が好き勝手できるほどコミュニティ全体の活動が低下している。


アドオンの更新状況を見渡してみて、Mozillaの発表を受けてbootstrap型に作り替えたものは見当たらない。
このままMozillaの計画通り変更が入ったらアドオンは壊滅状態になるだろう。
そもそもあの決定自体諸々考え合わせるとユーザーや開発者の利便性を犠牲にして金儲けしやすくするためのものだとしか考えられず、新しいタブに表示される広告が廃止されたのと同様に後で撤回されるかもしれない。
XPCOMはCross Platform Componentの略であって、まったく普及せずMozilla製品しか使っていない上にバイナリコンポーネントの利用が廃止された今となっては存在意義が無い。これが廃止になるのはわかる。こんなもの無いほうが格段にわかりやすい。
しかし一方でXULの廃止はソフトウェアとしては意味のあるメリットがない。開発の自由度は下がるしかかる手間も増えるし、ユーザーにとっても目に見える形で恩恵があるわけでもない。
しかもFirefox側の更新によってオーバーレイ型のアドオンは引き続き動いているのにおそらくSDKで作ったであろうbootstrap型のアドオンに動かないものが出てきて、なんだかもう滅茶苦茶になっているのだ。


現状Firefoxの開発は、修正箇所がどういう機能を担っているのか、修正の結果どう変わるのかなどの影響評価をろくにせずに、その場の思い付きでやりたい放題やっているような印象で、実際開発に関わっている人物の発言を見たら「理念を実現するためならユーザーがどう思おうがアドオンがどうなろうが関係ない」という本末転倒なことを言っている人がいて、誰も咎めない状況。
Firefoxに合わせるしかないアドオン開発の側からするとなんだか馬鹿馬鹿しくてやってられない気分になる。
今AMOにアドオンをアップロードすると待ち行列は25個くらいだが、以前は常時100個以上あるのが普通だったことを考えるとこの衰退具合は取り返しのつかないところまで来ている印象がある。


しかしMozillaはこのところ資金面での不安がなくなりブラウザ開発だけで組織を維持していけると考えるに至ったようで、今うまくいっている、うまくいく体制は正しい、現開発体制・開発姿勢は正しい、と考えてしまっている感がある。
アドオンの待ち行列が短いのもレビューが順調な証だと都合良くとらえるかもしれない。


実のところ資金面でうまく回っているように見えたのは景気変動の影響で一時的に好転しただけのように思えるので、モバイルOSの開発をやめてしまったのは間違いだと思う。もしまた状況が悪くなったら今度はもう逃げ場がないだろう。
企業の使用も多いオープンソースのソフトだからある日突然消えて無くなってしまうということはないし、今の段階でもフォークしたブラウザが存在しているので先行きを心配する必要はあまりないとは思うが、そうであってもやはり迷走とか混迷とかいう風になるのは勘弁してほしい。

YouTube見ていてふと気が付いた

YouTubeで最多のsubscriber数を誇るPewDiePieとその彼女であるCutiePie、彼らのチャンネルを見ていて再生回数が気になったので過去と比べてみたところ、二人ともこの2年くらいで動画一つ当たりの再生回数が約15分の1程度に減っていた。
一方でYouTubeで再生回数に応じて支払われる報酬が大幅に減らされ数年前の数分の一になっているらしいが、それが仮に半分だとすると件の二人がYouTubeから得ている収入は30分の1以下にまで減っている計算になる。
振り返ってみれば去年の夏PewDiePieはアクセス減を気にしている様子を隠さなかったし、YouTube以外の収益源を模索していたようだが、どうやら当てがつかず当面YouTuberとしてのみ活動していくと決めたようだった。
もっとも彼の場合デバイスメーカーとのスポンサー契約等があって全体の収入はYouTubeから直接得るものほど低下していないだろうとは思うが、しかしそうではあっても多くの人に見られるからこそのスポンサー契約であって、この流れが今後も続くようならすべて失うかもしれない。
既に一生生活するに困らないだけ稼いだだろうから、実際そうなったらさっさと諦めて悠々自適な隠居生活を送るだけかもしれないが、もう何年も前に結婚しない宣言を言い渡されているCutiePieのほうは路頭に迷うか実家に帰るかしかない。
ほかにもチャンネルをいくつか見てみたが、YouTube以外の収益源を見つけたり元々有していたところは去年の夏ごろ以降ほとんど活動していない。


なぜあの時期"YouTuber"が流行ったのかちょっと考えてみると、リーマンショック後のアメリカ等で多くの人が生活を切り詰める中で極めて安上がりな娯楽として浸透したのがそもそものきっかけだったのではないか。
欧米では契約しないと面白いテレビ番組は見られないわけで、その代わりとしてYouTubeが脚光を浴び、しかし経済状況が良くなって他にいろいろとできることが増えてきたら皆見なくなった、ただそれだけのことなのかもしれない。
ほかに選択肢がある中で飽きられたり呆れられたりしたら人は離れる。
マスを対象にしたビジネスでは当然の帰結か。


YouTube以外でも似たような印象を受けていて、テレビがマスに迎合した結果ほかの選択肢に逃げられた形で衰退している一方、その逃避先であったはずのネットでもすでに同様のことが広がっているのだと理解する以外にない。
ネットでは人の動きがすぐによりはっきりとわかるだけに結果が出るのも早いわけだ。
ちょっと考えれば予想できる話ではあるが、しかしこんなにひどくなるとは予想できなかった。
雑多な"ネット"から情報を得ることなどもはや不可能で、せいぜい世相を映す鏡程度の使い道しかない。
きちんとした情報というのはそれだけの価値がある故当然に有料で販売されることになり、したがってそれを買うしかなくなるわけだが、そこまで行くとネットのメリットというのは紙ゴミが減らせる程度になってしまうような気がする。
速報性は確かに有用ではあるが、しかし起こった事実についてヘッドラインだけ流すようなニュースは誰にでも流せるのであまり意味がない。
きちんと事態を理解している複数の人の目と手を経ることにこそ意味があるので、きちんとした記事に過度な速報性を求めるのは間違いで、そうなってくると紙の新聞でもまあ十分ということになってしまう。
実際にはネットと紙両方で一定以上の存在感を維持しているところを頼りにすることになるが、数が少ない。
しかも雑音が多すぎる。


ネットの利用が普及したことで結果的にずいぶん不便になってしまった。