終わった年がネットにとってどういう年だったか振り返ってみる

主観で言うと、「馬鹿が通れば道理引っ込む」「世は末世、気違いが盲の手を引く」という感じだった。
この二つの言葉は幕末には既に言われていたようだし、そういう状況が発生するのは別に特別な事ではない。
ネットの利用が普く一般に浸透した結果だろう。
そして、ネットの外では物理的な住み分けが可能だがネット上ではそれができない、という特性がいろんな問題を引き起こしている。
ここで言う"問題"とは自分にとっての主観的な問題であって、"問題を起こしている人たち"にとっては問題ではなくあらゆるところにアクセスできるというメリットですらある。
問題を起こす連中を立入禁止にするあるいは強制的に排除することができない以上、自衛策として必然的に変な連中に興味を持たれないようにするしかなくなる。
まあこれは現実世界で絶えずやっていることなので不可能ではないし、より簡単。
「新たにもう一つのインターネットを作ってそこに移住するしかなくなる」と主張していた人がいたが、どうせいたちごっこになるだろう。


情報収拾能力には磨きがかかった。
1年前にはネット上の情報はやっぱり紙媒体の情報にかなわないと感じていたが、今年後半新聞を読んでそうでもないと感じるようになった。
新聞記事の質が下がったという否定しようのない事実と相まって、紙媒体のメディアと完全に決別したと言っていい状態にある。
それになにしろ紙媒体は情報が遅い。徹底的に効率化を推し進めればもっと速くなるだろうとは思うが、遅くて当然だと思ってる連中に任せておいてそれが実現できるとは思えない。
今年後半世界情勢に激変が起こる中、この情報の遅さが際立った。
民放テレビ(局)の質はもうどうしようもない水準にまで堕ちた。
数年後にはラジオと同程度の支持しか得られないメディアに落ちぶれているかもしれない。


新たにネットに流れ込んできたと見られる人種は極めて理解力の低い連中だった。
子供ならまあある程度は仕方のないことなのだが、遅れに遅れてようやく手をつけた大人の方がたちが悪かったのではなかろうか。
2年とか3年前に一時はやったものがさもつい最近"発見"されたものであるかのように"情報発信"しているサイトを度々見かけた。
つい最近入ってきて事情がわからない人がとんでもない理論を振りかざしたり、あるいは昔からおかしな事しか言ってない人を意味不明に支持して大勢が迷走するのも目撃した。
こいつらは自分とは違う人種だと感じたら関わらないに限る。
そしてそれを実行できている。


"ある種のユートピアとしてのネット"が消えつつあるような気がするあたりが残念。