2000人いるとその中にサイコパスが80人いてもおかしくない

ソフトのユーザーが合わせて2000人。
欧米ではサイコパスは人口の4%いるという統計どおりなら、このうち80人ほどがサイコパスだということになる。
これまでちょっと呆れるというか普通の範囲から外れる人が5人程いたが、本当におかしいと言えるのは二人しかいない。
印象としてはかなり散々な目にあっている気分なのだが、しかし実際にはこんなものまだまだ大したことない、ということになる。
合理的で難しいものに取り組むのであれば意欲はむしろ難しいほどかきたてられるかもしれないが、支離滅裂で難しいものはその難度がたいして高くなくてもうんざりする。
でもこれで普通なのだと。


で、嫌な思いをしてうんざりして、そのことで頭がいっぱいになってしまって、遭遇した人のうちそんなのはごく例外なのに誰もがそういう面倒というか危険な人間だとでもいうような振る舞いや考え方になりがちだった。
どこにでもいるが全員ではない。必要な警戒はしなければいけないが過剰だとむしろ自分のほうがおかしい。欧米人に対するこの辺の加減が現状さっぱりわからない。


言葉の問題もある。
こちらは極力無味乾燥な書き方をしている。誰もが英語のエキスパートではない、ネイティブしか使わないような言い回しは誤解の元になる、だから正味字義通りになるように書く。ヨーロッパ人やアジア人とやりとりする中で自分なりにそうした方が一番良いと結論づけて実践している。
それに加えて、おかしな話だが、元々英語はそれその物だけでコミュニケーションが完結しない。日本語との対比では日本語の方が表現豊かだと言われるが、逆をストレートに言えば英語は表現に乏しい、もっと言うと貧しい。思い知らされた。
英語を日常的に話している人に文字だけの対話ではなくビデオチャットを使おうと何度も言われた。表情が重要な情報なのだろう。
振り返ってみるとロシア語話者にビデオチャットを使おうと言われたことはない。ロシア語は日本語以上に表現豊かだといわれるが、言葉だけで全部伝えきる習慣がある人はいちいち表情見たいとも思わないのかもしれない。この辺を考えてみるとアメリカ人がいうロシア人観とロシア人がいうアメリカ人観の違いも理解できる気がする。アメリカ人は「ロシア人は信用できない」と言う。ロシア人は「アメリカ人は人を騙す」と言う。アメリカ人は無表情で喋るロシア人を見て本心を計りかね信用できないと思い、ロシア人はアメリカ人の表情はあまり見ず言葉を聞いて不足があれば騙されたように感じる。両方見た印象では無意識に欺瞞的詐欺的な事を言うのが当たり前になっているアメリカ人の方がたちが悪いように思う。


こういうコミュニケーション上の相違は数多ある言語や文化それぞれについて起こる。
ネットは世界中に繋がっていて当然前に挙げたような食い違いは日常的に起こるわけだが、しかし各々個人の経験としては滅多に遭遇するものではないという人も大勢いる。むしろ異文化交流に縁がない人の方が多いのかもしれない。あるいは肌の色が違うとか信仰するものが違うとか所変われば理由にならない理由で違いを作りそれを強調して意図的に避けていることすらある。
顔の見えない相手に配慮するという発想は相手に期待し得ない。そういうものだと理解するしかない。
わかるならこちらが配慮するしかない。配慮した結果無味乾燥な書き方をしている。


ところが肝心のネイティブが文章を字義通り理解する習慣が薄くそうした能力が絶望的に欠落している人間の存在を許容してしまっていて、これが自分にとって厄介なことになっている。
相手が日常的に使っている話し方にいちいち合わせるのはまったく不可能であって、トラブル無く、あるいは不明点無くコミュニケーションをとるにはどのようにすればいいか今のところ見当が付かない。
英語をきちんと話せないと知ると途端に相手を人間扱いしなくなるアメリカ人を何度か見たことがあるが、不本意な事ではあるがあれを真似することも頭の片隅には置いておかなければいけないのかもしれない。