どこかに吐き出して整理する必要がある
前回書いてから3年半が経っている。
でもあっという間だったように思う。
前回書いた数か月後にいわゆるコロナ禍が始まっているわけで、時系列を振り返ってみて意外で驚いている。もっと間が開いていると思っていた。
直近何度かに書いたことが、もっと酷くなっているというか、さらに違う次元で襲い掛かってくるような感じになっていて、もう逃げる以外の選択肢はないように感じている。
単に身の回りで不快な出来事が続くだけでなく、社会全体が荒廃していっている気がする。
その荒廃自体に気づいたのは2018年頃だったと思う。だが当時はまだ荒廃した結果どうなるのかまでは見通せていなかった。
こうなるわけだ。
この何年かの間にネットでフラストレーションをためた者がわざわざ出向いて実際に人を殺すという事件が何度も起きた。遡ればもっと前にもあることはあるが、頻度の増加は否めない。
遠く離れたところからわりと客観的に見ての形容としては、被害者は「殺されるようなことをしていた」ということなんだと思う。良い悪いとは関係なく、野良犬を蹴飛ばしたら噛み付かれた、とか、ハチの巣をつついたら刺された、というような、そんなことしたら当然そうなりますよとしか言えないようなことをしていてあの結末を得ている。
いやそんなこと知るわけないだろう、という反論は通用しない。それは人間心理への洞察力が欠如しているということであり、そして死んでしまっては元も子もないのだ。
物事には限度がある、超えてはいけない一線がある、それを踏み越えれば殺されるような線がある、ということなんだ、そんな簡単なことがわからないと淘汰されてされてしまうのだ、などと考えていた。
それなのに、だ。
気が付けば自分も似たようなリスクある行動をとっているではないか。
気付いてすぐやめたが、あれほど批判的な目で見ていたのに一線に近寄っていたのは率直に言ってショックだった。
そして同時に感じたのは、では違う接し方をするのだとしたらじゃあ一体どう接すればいいのか、ということだった。
往生際悪くあれこれ考えるふりをしてみたが答えが一つであるのは疑いの余地がなく、それを受け入れるか、でしかない。
要するに、接してはいけないのだ。
どのような形であれ関わってはいけない。向こうから近寄ってきたら逃げるしかない。
決して相容れない明確に分離された世界がある。そう理解するほかない。
自分が作ったものではない。最近になってできたものでもない。間違いなくずっと昔からある。
世界中どの国どの社会にも存在する沈殿物のような存在が、ついにネットに取り込まれたのだろう。
自分自身存在すら認識していなかった層によって結果的に自分がこれまで見たこともなかった世界がいろいろと見えるようになっている。
すでに知っていたものについてもその意味を再定義し続けているように思う。
多言語使えるのは大きなメリットだと実感している。いろんな視点を持てる。自分を客観視しやすくもなっているかもしれない。
そんな中で戦争が始まった。
ある国丸ごとが"接してはいけない"特徴をすべて備えているのに気づいて心底驚いた。
自ずとイデオロギーについて考えるようになった。
あれこれ理由を並べ立てて戦争を始めているが、屁理屈に次ぐ屁理屈で、恐怖に耐えられず破れかぶれで暴発したようにしか見えない。自らの存在が脅かされているから抵抗する、心の拠り所となっているものが脅かされたから必死で守る、そうなったら彼らにとっては聖戦なのだろう。聖戦のためならどのような嘘屁理屈でも捻り出す、出せることが能力や優越性の証だ、とでもいうような感じだ。
そういうのを個人レベルでやっている人がたくさんいる。
国だと逃げることはできないが、人なら逃げようはある。
この時、逃げずに彼らを”直そう”としてはいけないのだった。
直そうとすればそれが彼らにとっての致命打になるようなのだ。
以前にも似たようなことを書いたことがあるが、それとは様相が違っていた。
彼らは地獄に落とされた存在などではなく、彼らは本性として邪悪であって彼らが彼らにとって居心地のいい空間を作ればそれが地獄になる、というような感じだ。
そんな所に留まれるはずがない。
向こうは安住の煉獄を確保し、こちらは安全な場所にいる。
これでいいんだ、と結論すべきなのだろう。
そんなはずはないと思う気持ちがずっと残っていたが、それも尽きた。
もう諦めてもいいだろう。
平和な選択だが、実のところ一番残酷な判断だとも思う。