情報の扱われ方について学んだ年だったように思う

3月に地震があった。これについての世界の報道ぶりを見た。
マスコミの下品な面を嫌というほど見せ付けられたように思う。より深刻であるように報じたほうが視聴率や販売部数を伸ばせる、稼ぎ時だし遠くの出来事で文句も言われないだろうからやりたい放題やっとく、そんな感じだった。
結果として、外国の人は日本全体が放射能に汚染されて人が住むような所ではなくなったと信じている人が出てきたりして、現に東京に住んでいる自分の感覚とはまったく違う話が広がっていた。
きちんと報じろ、ジャーナリズムって一体何なのか、そう思うことが度々あった。


ところがその後タイで洪水が発生して、結果的に3月の地震津波原発事故より世界に与えた経済的損失は大きくなり、この件については逆の立場で災害を見ることになった。
現地に住んでいる人の話では、日本等々で報じられているほど酷くない、と。
酷くないと言っている人は自分自身の生命の安全について語っている。こちらは全体としてのタイ人や地球規模での産業の停滞について話している。
話がかみ合わない感じだった。


立場と論点が様々なのに自分にちょうどいい報じられ方が常に自分の目の前に用意されていたりしない、ということだ。
今まで以上に情報の出し手の視点や意図をきっちり見極める必要を感じる。


これとは別に、最近黄海で中国漁船が韓国に拿捕されその際韓国の警察官が死亡するという事件があった。
事の真相は、違法操業していた中国漁船を韓国警察が拿捕し、その際漁船の乗組員が抵抗しあらかじめ用意していた刃渡り25cm程度のサバイバルナイフで警察官を刺殺した、ということだ。
当初事件の内容がはっきりしなかったが、死亡した警察官の体内から取り出した刃渡り17cmの"刃物"の写真を見ると明らかにサバイバルナイフで、刺したとき折れたのか刃が途中までしかなく、柄は見つかっていないようだった。刺した中国人が海に捨てたと考えるのが妥当だろう。
武装して略奪行為を働き証拠の隠滅も図る、これは漁民ではなく海賊と呼んだほうが相応しい。
東アジアではきちんと報じられてこういう認識は一般的だと思う。


ところがこの件についてアメリカでの報じられ方が全然違っている。
中国人はガラスの破片で刺したとか、割れたガラスの上に警察官が倒れこみ刺さった、と報じられていた。
中国人の傍若無人ぶりはまったく伝わっていない。
どういう力が働いてこういう捏造報道になったのか知らないが、とにかく今のアメリカには対中感情が悪くならないようにする一定の圧力が働いているのだと考えたほうがいいだろう。


こんな具合に世界中でその場その場調子のいいことばっかりまかり通るようでは真実など無いに等しいし相互理解など絵空事でしかない。
しかし、それが世界というものなのだ。